第11回『泣き味噌屋』

 前回、火付盗賊改め方の人達は、その義務である危険な仕事に全身的、献身的に熱中し、それを成就した時、ただ安らかな休息を得る人達であると述べたが、そんな人達の話をあと3話書いてみたい。最初が74話の「泣き味噌屋」(『オール読物』昭和49年2月号。文春文庫11巻)である。

 平蔵は与力8名、同心45名の部下とともに、犯人逮捕に抜群の成績を上げたが、役料や捜査費は変わらず、亡父の遺産をほとんど無くしていた。また部下も家族に内職をさせ、捜査費の足しにしていたが、至急の捜査にお金が要る時は、勘定掛りの同心・川村弥助に強く迫ることも珍しくなかった。

 川村は27歳、6尺に近い堂々たる男なのだが、臆病な性格で、地震の時に恐怖で失禁し、それを恥じて泣いてから「泣き味噌屋」と渾名あだなされていた。そんな彼がうなだれ、黙って泪をはかまに落とすのを見ると、部下は軽蔑やら同情で要求をやめるのであった。

 しかし平蔵は「勘定掛りとして川村は誠に優れている。通常は3人いる勘定掛りが1人で済み、2人が外勤に回っている。川村の才能はこの世の宝物である」と妻・久栄にもらしていた。

 ある日、四谷坂町の御先手組・組屋敷から川村を送り出した妻・さとは、同じ四谷の仲町にある実家、菓子舗・栄風堂へ独りで出掛けた。そこの3女のさとは、一昨年、19で嫁いだが、川村が実家の「初霜煎餅」が大好きなので、いつも貰いに行くのである。煎餅を呉れた兄にいわれて、さとはその後鮫ヶ橋谷町に寄り、小間物屋に嫁いだ幼友達と会い、人通りのない、寺院ばかりの、小暗い坂道を帰って行くと、突然首筋を強打され、気を失った。

 翌日の夕方、近くの廃寺の墓地で絞殺されたさとが、隣の寺の小坊主により発見された。鮫ヶ橋の御用聞き・富七と町奉行所の同心が調べたが、既に改め方から照会が出されており、川村が確認のため呼び出された。川村は妻の体を抱き締め、顔に顔を押し当てると、傍目はためも構わず号泣をした。

 一方平蔵は、さとが行方不明になった夜に捜索隊を設けたところ、妻子を死なせた同心・小柳安五郎が是非にと参加し、以後彼を中心に犯人の捜査が行われたが、手がかりがない。川村もさとの密葬を済ませるや再び寝たきりとなったが、14日目の朝、富七が下っ引の庄太を連れ、外出中の小柳を訪ねてきた。平蔵が会うと、庄太は牛込払方町の菜飯屋の亭主に聞き込みをしたところ、3日前2人の剣客が来て、煎餅が云々と話をしていたという。喜んだ平蔵がわしの褒美だと1両を与えると、2人は大感激をして帰っていった。

 早速小柳が菜飯屋の2階に詰め、庄太と密偵・伊三次が張り込むと、2日目の夜、2人の剣客が現れ、3人が尾行すると、中里町の町道場に入った。伊三次が居酒屋で聞き込みをすると、道場主は東軍無敵流の和田木曽太郎といい、2人の内の1人である。さらに2日間小柳達が調べると、道場では夜に博奕ばくちが行われ、また和田と門人・柴崎が相当な使い手であることも分かった。

 その翌朝平蔵は、3日前から出勤した川村がお目通りを願い、犯人逮捕に是非加えてほしいと陳情するので、これを許し、その夜川村を従え、中里町の稲荷社の境内に到着した。報告によれば道場の人数は15人位で、博奕が行われている。一方改め方は平蔵以下24名で、やがて表と裏から道場に一斉に打ち込んだ。

 大乱闘の末、改め方がほとんどの者を逮捕した時、和田と柴崎が雨戸を開け、縁側に立ち長剣を抜いた。その時川村も大刀を引き抜いたので、平蔵は川村と前へ進み、「長谷川平蔵だ。これなるはおのれらに妻を殺害された川村弥助」といい放つ。2人が襲ってきたので、平蔵はその剣をかわし、柴崎の太股を切り、「川村」と叫び、和田が片手上段に振りかぶった瞬間、あの臆病な川村がなんの恐れもなく、物をいわず、大刀を突き出したまま、地を蹴って和田の胸もとに飛び込んで行った。絶叫をあげたのは和田の方であった。川村の大刀は深々と和田の腹を突き通したが、なおも川村は和田の体を押しまくり、折り重なって倒れた。

 その後平蔵の申立てにより、幕府は無役の3千石の旗本・秋元左近を評定所に呼び出し、後援していた和田道場の2人を使い、婦女を暴行、殺害し、博奕を行った罪で切腹を命じた。また柴崎は死罪となり、旗本の子弟も博奕で処罰された。

 一方川村は改め方で尊敬されるようになった。妻・久栄も川村を激賞するので、平蔵は口外無用と断り、「川村は敵の刃を受けて、女房の後を追い、あの世へ行きたい一心だったのだと思う。その一心で突き込んできたから、和田はびっくりしてやられたのだ」という。それを聞いた久栄が「それをお知りになって川村殿を敵に向かわせたのですか」と尋ねると、平蔵は「川村がそれを望んだからだ」という。久栄は、平蔵の言葉の底に余人には測り知れぬ男の想いが隠されていると思った。