第7回『鈍牛』

 36話『鈍牛のろうし』(『オール読物』昭和45年12月号。文春文庫5巻)は、平蔵が無実の人を救う話である。

 平蔵が北陸出張から帰ると、田中同心が留守中に深川・相川町の菓子屋・柏屋の若い下男・亀吉を放火犯として逮捕し、その者は放火現場に晒され、明後日に火刑にされる予定と、久方振りの手柄を喜色満面で報告した。

 放火犯は当人が犯行を認めると町奉行所へ引き渡され、町奉行所が処刑するので、留守中に裁決が行われてもやむを得ないし、平蔵は納得して田中同心を褒めてやった。

 しかしその夜当直の酒井同心が密かに来て、土地の人達は亀吉があんな犯行をする筈がないと噂しているし、亀吉の盗んだお金を落としたという自白も変だと、その思いを隠さず話してくれた。

 翌朝平蔵が熊井町の蕎麦屋の焼け跡に立つと、何もかも諦めた表情で亀吉が晒されており、見物人の眼には同情が浮かんでいる。平蔵は舟宿・鶴やへ急ぎ、亭主で密偵の粂八くめはちに佐嶋・筆頭与力と酒井をすぐ呼ぶように命じた。

 そして個人的に親しい南町奉行・池田長恵ながしげが今月の当番なので、処刑の3日延期の陳情書を書き、佐嶋を奉行の許に走らせた。また田中配下の密偵で亀吉を白状させた源助を直ちに連行するように酒井に頼み、自らは粂八と柏屋へ急行した。

 柏屋は営業停止の上、謹慎中で、明日の亀吉の火刑後島流しになるかも知れぬ身であったが、主人夫婦も奉公人も亀吉はあんなことをする者ではないという。というのも亀吉は6年前の母の死後、柏屋に勤める母の姉を頼って来て、物置に住まわせて貰ったが、時間はかかるものの仕事を真面目に行うし、純真で無欲なので誰からも好かれていたのである。

 鶴やへ戻ると、源助が5日後に焼け跡の亀吉を見て変に思い、責めるとすぐに白状したというが、お前はこの俺に、亀吉が犯人だと今もいい切れるかと平蔵が鋭く問い詰めると、源吉は全身をおこりのように震わせ始めた。

 酒井が役宅の牢へ源助を引き立てて行くと、佐嶋が戻り、南町奉行が明日の処刑を7日ほど延期決定と報告したので、平蔵は明日午前中に亀吉との面会の許可を願う牢屋奉行宛の陳情書を書き、佐嶋を伝馬町へ走らせた。

 翌朝牢屋敷で平蔵が尋ねると、亀吉は、おら火つけしない、旦那を島流しにしてはいけねえだよ、おかみさんの病気が直るよう、寝る前にいつもお詣りにいった、火つけする人を見たと答えたが、その名はいわない。

 その翌日から亀吉の晒しが再開され、評判になったが、5日目、亀吉の視線がある男に釘づけになったのを平蔵は見逃さなかった。酒井に逮捕させ、平蔵が調べると、その男は下総(しもうさ)の無宿人で、放火をし、8両を盗んだことを認めた。そして亀吉に現場を見られたが、口止めをしたら守ってくれた、8年前潮来いたこで亀吉の母となじみになった頃、亀吉を哀れに思い、かわいがったからだろう、しかし毎日無心に空を仰ぎ処刑を待つ亀吉を見ると胸が張り裂けた、目が合ったのは今日が初めてと男はほろほろと泣きながらいった。

 この事件後、火付盗賊改め方に対する批判は強かった。亀吉を棒で痛めつけた源助は島流し、田中は身分と役目を奪われ、江戸追放となったが、これは南町奉行が平蔵の窮地をおもんばかった処分であった。為に平蔵も若年寄りの叱責で済んだが、その日役宅へ戻った平蔵は、一同を前にしていった。

 「この役目はな、善と悪の境目にあるのだ。それでなくては勤まらぬのだ。だからといって田中の二の舞を誰かがやったら、俺が腹を切る」

 なお江戸時代の刑罰は厳しく、金子(きんす/物は代金にして)10両以上の盗みは死罪、それ未満は入墨いれずみ・たたき、火付けは火罪、人に頼まれた火付けは死罪、人に頼んだ火付けは火罪と、「公事方くじかた御定書おさだめがき」に定められていた(石井良助『江戸時代漫筆・上』朝日選書)。