第3回『五郎蔵とおみよ』
平成元年、池波正太郎は『鬼平犯科帳』の最終作・132話『ふたり五郎蔵』(オール読物7月臨時増刊号。文春文庫24巻)を発表した。
清水門外の火付盗賊改め方の役宅では、与力・同心達が変装もするので、髪結いが不可欠であった。その髪結いがやめることになり、後任に「まわり」の髪結いの五郎蔵が選ばれた。彼は越中・井波の生まれであるが、幼少の頃父親が江戸に出て数珠屋をしたという。
ところが凶賊・暮坪の新五郎は一味の髪結いから情報を得て、初日に彼の女房のおみよを誘拐する。五郎蔵は御用聞きに届けたが、次の日髪結いをした鬼平にその動揺を気付かれる。
翌日鬼平は与力や密偵達に五郎蔵の身辺を探らせると、彼がまわる先の評判は大変いいが、おみよが行方不明で、彼女の父親の浅草・聖天町の
その頃暮坪は出会茶屋に五郎蔵を呼び出し、改め方の動きを知らせ、指示した時に役宅の裏門を開けるよう脅迫し、承諾をさせていた。
これに対し鬼平は、次の日から五郎蔵の髪結い先を調べさせると、処刑された
それとは知らぬ暮坪が桔梗屋を襲うと一網打尽となる。同時刻に五郎蔵が忘れ物といって開けた裏門より浪人達が侵入すると、与力達が待ち構えていた。暮坪は改め方に放火し、鬼平の失脚をねらったのであった。
しかしおみよは残党に連れ去られ、悲しみの余り五郎蔵は大川に身を投げる。一網打尽にするため、盗人宿にいたおみよの救出を後回しにした鬼平は、大滝の五郎蔵の嘆願もあり、運良く助けられた五郎蔵に改め方出入りを許し、「平太郎」という名も与えると、平太郎の嗚咽はとまらなかった。
なお平太郎は井波の生まれであるし、おみよの実家の「聖天町」は池波の実家のある町、父の稼業の「飾屋」は池波の母の実家の稼業である。従って池波が健在であれば、平太郎は誠実な仕事で鬼平を助け、おみよは女賊となって江戸に現れ、二人が再会する展開になったと想像している。
最後に池波が『銀座百点』に書いた銀座日記を収録した『池波正太郎の銀座日記』(新潮文庫)を読むと、井波関係の記述が意外と多く、池波の井波への温かい想いが伝わってくる。
①昭和58年11月号 井波の岩倉さんが来訪。利賀のワサビを沢山持ってきてくれる。さっそくにおろし、「初花」の蕎麦をあげて食べる。
②61年3月号 新しい小説(注、秘密)のトップ・シーンが頭に浮かんだので、第1回目の挿画を1枚描く。
③61年12月号 この秋は井波に行こうとおもっていたが、いけそうにもなくなってきた。
④62年1月号 井波の大和君(注、役場職員)が送ってくれた掘り立ての里芋をつかった「けんちん汁」。
⑤62年7月号 井波へ行き、旧知の人びとと交歓した。昼食は料亭「丸与」。利賀の山芋入りの蕎麦。せいろ蒸し、どぜうのカバ焼もなつかしい。
⑥63年1月号 大和君から里芋が送られてくる。井波の里芋は旨い。
⑦平成元年7月号 久し振りに鬼平(注、五郎蔵とおみよ)を書くので、旧作の鬼平犯科帳を読み返してみる。
⑧元年8月号 鬼平犯科帳百枚すべて終る。挿絵も描く。
⑨元年9月号 鬼平特別号ができたので、見本が来る。よくできた。
⑩2年1月号 大和夫妻が手づくりの里芋だ。けんちん汁をつくらせた。旨い。東京の里芋とはまったくちがう。
なお富山県南砺市井波には「池波正太郎ふれあい館」があり、旧井波町の人達との交流を偲ぶことができる。