第25回『鬼平犯科帳の源流』

 池波正太郎は昭和62、3年頃

  鬼平の十手に光る冬の月

という句を詠んだが、実は昭和39年そんな場面のある小説を書いている。それが『江戸怪盗記』(週刊新潮1月6日号)で、池波が初めて長谷川平蔵のことを書いた小説である。

 寛政3年、商家を襲い、婦女子を犯し、大金を奪う葵小僧一味が跳梁したが、火付盗賊改め方長官長谷川平蔵が巡回中犯行後の葵小僧を見付け、脳天を十手でなぐりつけ、気絶させて逮捕した。この夜は12月20日、月光が射していたとあるから、その瞬間キラリと光った筈である。

 なおこの小説では、池波はまだ長谷川のことを「鬼平」と書いていないし、また一人の「密偵」も登場させていない。

 次に翌40年、池波は再び長谷川のことを書いた小説『看板』(小説新潮夏季特別号)を発表する。

 ここでは鬼平犯科帳に出てくる本格の盗賊の守るべき三ケ条、

 一.盗まれて難儀するものへは手を出すまじきこと
 二.つとめをするとき、人を殺傷せぬこと
 三.女を手ごめにせぬこと

が初めて書かれ、これを守る夜兎の角右衛門が登場する。

 寛政元年、その夜兎は町で女乞食が拾った大金を落し主に返えすのを見て感心し、料理屋で鰻をご馳走するが、女の右腕がないのは、七年前商家へ盗みに入った時に部下が三ケ条を守らなかったためと知り、また女が念願の鰻を食べたことに満足し、翌日死んだことも知り、長谷川に自首する。しかし夜兎は処罰されず、以後盗賊の動きを知らせる等長谷川のために働く。

 そして昭和42年、池波はオール読物12月号に小説『浅草・御厩河岸』を発表した。これが好評であったため、翌年の1月号より鬼平犯科帳の連載が始まり、第一話として『唖の十蔵』が発表されたので、この小説は後で第四話にされたが、実質的には鬼平犯科帳の第一話である。

 この記念すべき第一話に何故か私の郷里、越中生まれの盗賊が三人出てくる。まず卯三郎は越中伏木の生まれで、例の三ケ条を守る盗賊であったが、今は中風で寝たきりである。次に岩五郎は卯三郎の息子で、高岡で生まれ育ったが、結局父と一緒に働く盗賊となる。しかし火付盗賊改めの与力・佐嶋に父と共に逮捕され、その「手先」、「いぬ」となったが、『唖の十蔵』にも登場し、「密偵」と書かれる。最後の海老坂の与兵衛は越中生まれの三ケ条を守る大盗賊で、二人をよく知る。

 寛政元年、居酒屋をしている岩五郎は海老坂に今度の「おつとめ」で錠前はずしを頼まれ、承知する。その日が近づいたので、海老坂に心服する岩五郎も決断し、佐嶋と会う連絡をとるが、その直後おつとめは無期延期となる。だが佐嶋にはそうもいえず、結局密告した岩五郎は海老坂が逮捕された夜、一家あげて夜逃げをする。

 その気持がよく分かる長谷川は追手を押しとどめ、こういう。

 「岩五郎が越中のどこかの町で、中風の親父と盲目の義母と、女房と子と、安穏に好きなどじょう汁をすすってくれるような身の上になってくれることだな」

 池波はこの小説を発表する前、昭和42年8月に能登、高岡を訪ねている。能登から国道160号で高岡へ入り、海老坂の表示を見た時に盗賊の名が浮んだのではないか。また高岡では「新子泥鰌」といい、子指ほどの子供の泥鰌を鍋にして食べることを知り、岩五郎親子の好物としたのではないか、と思う。なお私はしんこ泥鰌をよく知らないが、少年時代井波でよく食べた泥鰌のかば焼は、今も忘れられないものとなっている。