第7回『大川の隠居』
池波正太郎が気に入っている作品の一つに『大川の隠居』(文春文庫6巻)があるが、これは大川(千住大橋より下流の隅田川)に巨大な鯉が出現する珍しい話である。
風邪で寝込んでいた鬼平は、ある夜寝室にあった亡父の形見の銀煙管を盗まれた。全快後剣友・岸井と市中見廻りに出た鬼平は、日本橋川の思案橋たもとの船宿・加賀やへ入り、気晴らしに舟で大川に出る。ところが両国橋で岸井が一時下船した際、なんと老船頭が盗まれた煙管を吸い始めたではないか。
翌日、鬼平の命で元盗賊の密偵・粂八が加賀やを訪ねると、この老船頭は、昔なじみの盗賊・浜崎の友蔵で、鬼平の評判が高いので煙管を盗んだと打ち明ける。この報告を聞いた鬼平は、翌々日粂八に印ろうを与え、友蔵に「粂八もその後、鬼平の寝室から印ろうを盗んだが、今夜返すので、友蔵さんは煙管を返し、その代わりに印ろうを盗んでみないか。成功すれば30両差し上げる」と持ちかけるように命じた。この話に乗った友蔵は翌々日煙管を返し、印ろうを盗み出す。
さらに翌々日、今度は鬼平が加賀やを訪ね、友蔵の舟で大川を上り、吾妻橋の上流三めぐりの土手あたりへ来たとき、友蔵は「大川の隠居」が現れたから明日は雨だという。見ると、年齢7、80歳、5尺(152センチ)と10貫(37.5キロ)くらいの鯉が現れ、舟とともに悠々と泳ぎ始めた。
その後、珍しいものを見せてもらったお礼にと言って、鬼平は浅草・今戸橋の船宿・嶋やに誘い、一杯やり始めると、友蔵は盃を落としワナワナと震え出した。鬼平が、あの銀煙管に煙草をつめ始めたからである。そして鬼平は1両を友蔵の前に置き、「とっつぁん、これで印ろうも返しておくれ」と頼むのであった。
百科事典によると、鯉は貝類、水中昆虫、水草、土中の有機物質を食べ、大きいものは153センチで45キロ、長寿のものは210歳になった記録があるそうである。だから水がきれいで餌も豊富だった江戸時代、鬼平が見た鯉が大川にいても、別に不思議ではないのである。
それにしても、作者はなぜこのような鯉を書いたのであろうか。司馬遼太郎はかつて作者について、次のようなことを述べている(『以下無用のことながら』文春文庫)。
江戸っ子の池波さんが「京大阪にうつりたい」とまで言っていたことがある。なにしろ当時、東京オリンピックの準備が進められていて、東京は高速道路の工事やらなにやらで掘りかえされていた。東京はべつな都市として変わりつつあったのである。
しかし池波さんは、昭和43年開始の『鬼平犯科帳』から、江戸の街路や裏通りや屋敷町あるいは料理屋などをすこしずつ再建設しはじめただけでなく、小悪党やはみだし者など都市に必要な市民を精力的につくりはじめた。このおかげで、その後池波さんは、東京の変容をなげいたりしなくなった。
私も『鬼平犯科帳』は、作者が変わらざる町としての江戸を書いたものだと思う。だから、この鯉は江戸の大川を再現するために、その象徴としてどうしても登場させたかったのではないかと考えている。