第34回『笹屋のお熊』
中村吉右衛門主演の第13話「笹屋のお熊」(フジテレビ)が平成元年10月18日放映された。脚本は桜井康祐、監督は吉田啓一郎、お熊は北林谷栄、彦十は江戸家猫八であった。これを見た池波は後述する様に北林の特別出演を大変喜んでいる。なお原作のタイトルは「お熊と茂平」(文春文庫10巻)で、その概要と映画の感想は次の通りである。
本所の
「おい銕つぁん(平蔵の幼名は銕三郎)。昔なじみのお熊を庭先へ通すとは、余りにむごい仕打ちじゃねえかよ。お前さんが勘当同様になって屋敷を飛び出し、本所・深川をごろまいていた頃は、毎日の様に酒を呑ませたり、泊めてやったのを忘れたのかえ」という。平蔵も昔の口調になってやり返すと妻の久栄が間に入ってお熊を居間にあげた。
そこでお熊が平蔵に語ったのは、次の様なことであった。昨夜弥勒寺の下男・茂平が急に腸捻転になり、息絶えようとする時、年寄り同志で仲良かったお熊を呼んでほしいと頼んだ。そこでお熊が2人切りで会うと、千住・小塚原町の畳屋・庄八に自分の死を伝えてほしい、そして神奈川宿の塩売り牛松の
これを聞いた平蔵は茂平が盗賊一味の引き込み役で、お熊を使い一味の庄八に自分の死を知らせ様としたのではないかと疑った。当時江戸は火災が多く、人は大切な金品を寺社へ預け、寺社はそれを運用し、預けた人に利息を出していたのである。
そこで平蔵はお熊を駕籠に乗せ、少し離れて自分も駕籠に乗り、伊三次と沢田同心が変装して各々の駕籠の後ろに付いて千住へ向った。そしてお熊が庄八に会い、茂平の死のみを伝えると、庄八は感謝し、遺体を引き取り、葬儀を出したいと述べた。
ところが平蔵が前の居酒屋から見ていると、庄八の女房が本所へ歩いて戻るお熊の後を尾行し始めた。だがお熊を守るため沢田がその後を付けて行く。一方庄八がしばらくして荷車を引いて本所へ向うと、平蔵も伊三次を残して本所へ向った。
夕方平蔵は秘かに笹屋に入った。お熊は事前に寺へ連絡したので、畳屋が遺体を運んで行ったと先程寺から連絡があったことを報告した。
夜には沢田がきて、畳屋の女房が笹屋へ入るお熊を確認した後、その旨を擦れ違った夫に合図し、庄八は安心して寺を訪ね、遺体を引き取り、千住へ帰ったこと、千住には酒井同心と粂八達が配置されたことを報告した。
しかし盗賊一味が茂平の遺言を聞いたお熊を襲う恐れもあるので、平蔵は沢田を笹屋に常駐させ、お熊を夜は二ツ目の五鉄へ泊らせることとした。
平蔵とお熊が五鉄に秘かに入ると、粂八の部下・弁吉がきて、酒井と伊三次が外出した庄八を付けていること、女房が近くの寺僧を呼んだことを報告した。そして平蔵が五鉄に下宿する彦十にお熊を頼むと、お熊は、彦十みたいな守役はごめんこうむりたい等というので、彦十も何をぬかしやがる等といって口げんかになる。
翌日酒井が役宅へきて、昨夜畳屋が越ヶ谷の旅籠・入升屋・市五郎方へ入り、一泊して今朝千住へ戻ったこと、伊三次が今日入升屋に泊まること、千住に見張り所が必要なことを報告したので、平蔵は佐嶋与力に見張り所を設ける様、彦十に入升屋へ行く様命じた。
その夜平蔵は五鉄へ行き、お熊と会った。平蔵の頼みでお熊はその日町医者・石川東雲先生に会い、3年前行き倒れた時の茂平の病状を聞いてくれたのである。答は彼は胃病持ちであの時は余りの痛みで気が遠くなったのだということであった。
そこへ弁吉が駆け込んできて、畳屋が五十がらみの男を連れて弥勒寺へ入ったと知らせてくれた。平蔵は笹屋に泊まり、翌朝お熊に寺の人に聞かせると、その男は下男になる人で茂平の親類と称していることが分かった。
その夜平蔵は与力達と相談し、畳屋・庄八夫婦を召し捕り、一味の本拠を白状させ、打ち込む方針を決定した。そして翌日夜夫婦を秘かに捕え、役宅で責めたが、口を開かない。だが畳屋につなぎにきた若い男を中にいた沢田が捕え、役宅で責めると、すぐ吐いたので、夫婦も遂に白状をした。首領は今市の十右衛門といい、宇都宮にいることが分かったので、改め方は越ヶ谷の入升屋、宇都宮の本拠、弥勒寺を急襲し、一味合わせて21名を逮捕した。
なお畳屋・庄八は平蔵の尋問に対し次の様なことを述べた。茂平は盗賊ではなく伯父である。商いや博奕がうまく、母へ送金したり、子供を可愛がってくれた。1年前江戸で再会し、つい住所を教えたら、万一の時は葬ってくれと20両を持って頼みにきた。伯父を受け取りに寺にきた時、ふと引き込みを入れたらと思ってしまった。伯父の孫娘については聞いたことがない。
そこで平蔵はお熊に駕籠を雇い、茂平の孫娘に58両を届けに行かせた。しかし塩売りの牛松は3年前に倒産し、女房、孫娘を連れて夜逃げしてしまっていた。
帰ってきたお熊がこのお金で茂平の墓を建ててやりたいなあという。平蔵がいいともと許すと、お熊の両眼にみるみる熱いものが吹きこぼれてくる。それを見ながら、これお熊、今日から彦十と同じ様に、盗賊改め方の御用をするかと聞くと、
「するとも、するとも、大するだ!!」
とお熊はおお喜びで返事をした。
ところでこの映画を見た池波は「銀座日記」(新潮文庫)に次の様に書いている。北林さんの舞台をはじめて観たのは戦前の築地小劇場で満州開拓の話だった。北林さんは宇野重吉と新婚の開拓民を演じた。その初々しい、美しさに私どもは
次にお熊が五鉄へ行き、守役になった彦十と口げんかする場面は、映画でもとても面白い。さらに映画ではお熊が守役の彦十と一緒に孫娘へお金を届けに行き、その結果を庭先で平蔵に報告する場面がある。その時お熊は密偵に任命され、嬉しさの余り彦十に、そこのとんちき、聞いたかえ、ざまあみやがれという。彦十が、けえ、おきゃがれといい返し、笑いの内にエンディング曲が始まる。
最後に池波は盗賊にもできるだけ名前を付けた人である。この映画に登場する荒尾の庄八(畳屋)、猿野の仙次(白状した男)、入升屋・市五郎、今市の十右衛門(首領)の4名も含め、鬼平犯科帳に登場する名前のある盗賊は、数えると562名にもなる。
池波は昭和31年、有名な植物学者・牧野富太郎博士の戯曲を書いたが、この時博士がどんな植物にもすべて名前があるといわれていることを知った。以来池波はどんな人間にも名前があるのだという思いをもって、小説を執筆したといわれる。