第27回『池波の女性小説』
意外に知られていないが、池波は女性を主人公にした長編や短編の小説を沢山書いた作家である。長編女性小説については、次の様な作品が書かれており、前号まで連載した『乳房』はその内の一つである。
- 『旅路』(「サンケイ新聞」昭和53年、54年連載)
彦根藩士の妻三千代は医師で盗賊の堀本伯道のお蔭で夫の敵を討ち、最後は大店の主人の後添いとなる。 - 『夜明けの星』(「サンデー毎日」昭和55年連載)
煙管師の娘お道は父を殺されたが、女中から大店の内儀となり、父を殺した浪人はお道の娘を救って死ぬ。 - 『雲ながれゆく』(「週刊文春」昭和58年連載)
夫の死後お歌は唐天竺で修業した剣客の助勢で争い事を解決し、彼の子を生んだが、夫の店の後継者となる。 - 『乳房』(「週刊文春」昭和59年連載)
- 『まんぞくまんぞく』(「週刊新潮」昭和60年連載)
家来を殺された堀真琴は、剣術を習い、旗本の青年の助力で仇討を果たし、彼を夫に迎えて旗本の大家を継ぐ。 - 剣客商売番外編『ないしょないしょ』(「週刊新潮」昭和62年、63年連載)
百姓の娘お福は主人等3人を殺した剣客に、手裏剣と秋山小兵衛の助勢で仇討し、商家の主人等になる。
これらの作品で池波が書きたかったことは、筒井ガンコ堂氏がいう様に、「それぞれの運命に弄ばれながらも、けなげにたくましく明日へ向かって生きるおんなの生き様の不思議さ」(『ないしょないしょ』新潮文庫)ではないかと思われる。
また短編女性小説については、池波は直木賞を受賞した昭和35年から数多く作品を発表しており、『おせん』(新潮文庫)所収のものを上げれば以下の通りである。
- 『蕎麦切おその』(昭和35年)
- 『烈女切腹』(38年)
- 『おせん』(39年)
- 『力婦伝』(41年)
- 『御菓子所・壺屋火事』(42年)
- 『女の血』(44年)
- 『三河屋お長』(44年)
- 『あいびき』(46年)
- 『お千代』(46年)
- 『梅屋のおしげ』(46年)
- 『平松屋おみつ』(46年)
- 『おきぬとお道』(47年)
- 『狐の嫁入り』(47年)
これらを読むと、池波は既にして、「運命に弄ばれながらも、けなげにたくましく明日に向かって生きる」女性を書こうとしていることが分かる。
またこんなに多くの短編を書いたことについては、池波は「短編ではわずかな日数と枚数で仕上げなければならぬ。まことに苦しいけれども、短編小説を書くことから離れてしまうと、私の場合は長編を書くときの自信がもてない。
短編を書いて構成力を養っておかぬと、どうも安心ができないのだ」(『食卓の情景』文春文庫)と考えていたからである。
例えば7の『三河屋お長』は長編『乳房』の原案となっている。元より平蔵は登場しないが、お長が娘時代に不作の生大根といわれて捨てられた弥市を、丁子屋の前で見つけ、後を付けて殺す場面や晩年鬼子母神の茶店で無銭飲食の女から弥市はよく生大根といったが、お長を忘れられないと語っていたことを聞かされる場面がある。
最後に森鷗外も池波と同様に女性を主人公とする小説を書いた人であった。彼は明治17年にドイツに留学したが、翌年偶然にライプチッヒで開かれたドイツ婦人会に出席する。そこで女性の教育向上と職業の門戸解放を目指す婦人会活動に共鳴をする。
帰国後日本でも明治44年、青鞜社による女性解放運動が起きると、これを支援し、自らも「新しき女は明治大正に至って始めて出たのではなく、昔よりあった」として、次の様な女性を主人公とする歴史小説を発表した。
- 『安井夫人』大正4年(佐代)
- 『山椒大夫』同(安寿)
- 『魚玄機』同(魚玄機)
- 『じいさんばあさん』同(るん)
- 『最後の一句』同(いち)
- 『渋江抽斉』大正5年(五百)
- 『伊沢蘭軒』同(たか)
いずれの主人公も運命を切り開いていく「叡知」を持った女性である。
また鷗外は青鞜社を不幸にして退社した富山市出身の尾竹一枝を応援し、彼女の女性誌『番紅花(さふらん)』(大正3年)に巻頭文、翻訳文や海外の女性活躍情報を寄稿した。彼女の叔父国観と池波の伯母は一緒に暮らしていた人で、鷗外と池波は尾竹を軸にして不思議な縁で結ばれている。(参考:富山大学教授 金子幸代『鴎外と女性』大東出版社)