第20回『おまさ狐火』

 おまさが佐倉の叔母の葬儀に出た帰り、葛飾の新宿にいじゅくの渡し口で、早朝舟を待っていると、近くの茶店の娘が戸を開け始めた。その清楚な顔が昔、上方の大盗賊・狐火きつねびの勇五郎の江戸の妾であったお静さんとよく似ている。乗船後も茶店を見ていると、10年前に狐火一味の引き込み女をしていた時、勇五郎の右腕といわれた瀬戸川の源七さんが外へ現われた。これでおまさもあの茶店が狐火一味の盗人宿ぬすっとやどであり、勇五郎の息子で二代目を継いだ又太郎さんがいよいよ江戸へ乗り込んでくるのか、と思うに至った。
 
 盗人宿の発見は密偵がすぐ長官に報告すべき重要事項である。しかし報告すれば、二代目を長谷川様が見逃す筈はない。いかに二代目が先代の教え通り、人を殺さない等の3ヵ条を守る本格の盗賊であってもである。
 
 またおまさは10年前、又太郎と夫婦めおととなる寸前までいった仲であった。結局仲間内の色恋を禁じた先代に追い出されたが、そんな人を密告する気持にどうしてもなれない。
 
 翌朝おまさは報告をしないと決心して改め方へ行くが、それどころでなかった。昨夜市ヶ谷の薬種屋・山田屋へ盗賊が入り、一家17人を皆殺しにする事件が発生、役宅は騒然としている。
 
 すぐ平蔵がいる居間の縁先へ廻ると、盗賊は二代目の狐火の勇五郎だといわれたが、おまさは信じられない。しかし盗賊が山田屋の柱に貼った、闇夜に浮ぶ狐火の色刷りの札を見せられると、それは正しく本物であった。
 
 半信半疑で山田屋へいくと、現場は凄惨を極めていた。おまさは一目見て顔をそむけ、違う、これは違います、二代目の仕業でありません、と夢中になって平蔵にささやいてしまう。
 
 このためおまさは平蔵に近くの料理茶屋へ連れていかれた。そして、何故二代目をかばうのだ、二代目と恋仲だったのか、先代には2人の息子がいた、お前のいう二代目はどちらなのだ、誰が二代目でもあんな事件を起した奴はお前も許せない筈だ、是非力を貸してくれと頼まれた。又太郎の仕業でないと確信したおまさは、悪党どもへの闘志が湧き上がり、はいと返事をしたのであった。
 
 それから4日間、おまさは新宿の茶店を見張り続けたが、何の異常もない。昔なじみの密偵・彦十さんの知恵を借りたくなり、その夜すべてを打ち明けたところ、長谷川様には秘密にして協力をしよう、おまさは思い切って茶店を訪ねてみた方がいい、といってくれた。
 
 翌日の夕暮、おまさは町人の女房風の旅姿になって茶店へ入り、10年振りに源七と再会した。おまさは乙畑おとばたの源八お頭が捕まったので上総へ行くところだといって、二代目が江戸へ出てこられるのかとさりげなく尋ねると、源七は、4年前に先代の遺言で足を洗った、お静さんの娘・お久ちゃんを育てている、今晩は泊めるが、朝にはすぐ発ってほしいという。
 
 翌朝おまさが茶店を出ようとした時、舟から降りた一人の男がおまささんといって近付いてきた。何と10年振りに会う又太郎であった。きちんとした旅姿で、32歳であるが、身のこなしは若々しく、容貌は堂々としている。源七の意見を聞きたくて京から来たというので、おまさが失礼しようとすると、おまさも一緒に話を聞いてくれないかといわれた。
 
 奥の一間に入った又太郎は、今春、京大坂で二代目の偽者が大店2軒を襲い、皆殺しにした、江戸でも5日前にその偽者が山田屋へ押し込み、皆殺しにした、偽者は弟の文吉だ、先代は自分を二代目にされた、本妻の子・文吉は不服で6人程連れて一味を出ていったのだと打ち明けた。
 
 その頃対岸の亀有の番小屋では、平蔵と密偵の彦十、粂八くめはちが茶店を見張っている。その間、彦十が、俺はおまさを裏切ってしまった、今度はどんな結末になろうとも、おまさの顔を立ててくれないと、俺が収まりませんぜとしきりに恐迫するので、平蔵もわかった、わかったよといっている。
 
 その夜二代目達は店の土間の腰掛けでひたいを集め、偽者の盗人宿の場所について意見を出し合い、先代とお静さんが住んでいた大川(隅田川)の左岸の木母寺もくぼじ(墨田区堤通)近くの空き家がそれだという結論になった。そして源七がそこで文吉を見付けたらどうするか聞いたところ、京へ連れ帰り、真のおつとめを叩き込むが、いやだといえば殺すと答えた。
 
 翌朝彦十達が近くの葦の中の苫舟とまぶねから見張っているとも知らず、源七は中川を渡り、山田屋事件の聞き込みに行った。この結果偽者一味には浪人者が相当数いるので注意をして、次の事件が起きないよう、明日盗人宿に乗り込もうという話になった。

 疲れた源七は間もなく休んだので、おまさは中2階の部屋へ上って二代目の床を延べ始めると、二代目が上に上がってくる気配を感じたが、逃げなかった。会いたかったという二代目に背後から抱き締められたおまさは、いけません、おかみさんに悪い、といって抵抗するが、いるもんか、なってくれるか、女房に、といわれると、どうにでもなれと思い、双腕に力を込め、彼の背中を抱き締めてしまった。

 翌日の昼下り、3人を乗せた苫舟が綾瀬川から大川に入り、木母寺の下流の左岸の葦の中に隠れた。中川の新宿からずっと付けてきた、平蔵、彦十、粂八の苫舟は、木母寺の上流の左岸の葦の中に潜んだ。
 
 やがて夜の闇が大川を被うと、盗人宿の潜戸くぐりどが開き、提灯を持った男が出てきて、堤の下の道を南へ行く。二代目の苫舟もすぐ大川を南下し、諏訪明神前の舟着場に先着した。

 二代目が先代の配下・岡津の与平を襲い、舟に連れ込み、一連の皆殺し事件が文吉の仕業であること、盗人宿の内部状況等を白状させた後、苫舟は元の場所へ戻った。もう一隻の苫舟も巧みに後を付けつつ元の場所へ戻り、粂八が岸に上がって二代目の苫舟を見張る。
 
 二代目は一緒にいくというおまさを舟に残し、死も覚悟して一人岸に上がり、盗人宿へ乗り込む。粂八からこの動きを報告された平蔵も、彦十を残し、粂八と盗人宿へ急ぐ。
 
 二代目は文吉とお千の寝ている部屋へ入ると、すぐお千の首を締めた。お千は先代におまさとの仲を密告し、文吉をそそのかして分派させ、そして引き込み女として、文吉の畜生ばたらきを先導してきたからであった。

 気がついた文吉に畜生ばたらきをやめて、京へ帰ることを繰り返し、繰り返し説得したが、文吉は、生きて帰さないぞといい、襖を倒し次の間へ転げ込み、雨戸を蹴って裏庭ヘ踊り出た。二代目も続いたが、物音を聞いた浪人4人が庭へ飛び降りてきた。
 
 その時浪人の前にぬっと立ちはだかったのが、長谷川平蔵。忽ち2人を倒し、逃げた3人目を隠れていた粂八が根棒て倒すと、2人の賊を追えと命じ、4人目を居合いで倒した。

 粂八が呼ぶので、駆け付けると、二代目がうなだれて座っている。その傍に短刀が深々と胸に立った文吉が倒れていて、二代目が平蔵に、文吉が偽の二代目で、畜生ばたらきをやめないので、殺したといった時である。

 潜戸の辺りからおまさが二代目を呼びながら、源七と駆け込んできた。それを見て平蔵は、おまさを連れて京へ戻れ、堅気になって共に暮せ、と命じた。10両を盗むと死罪の時代。まさかと驚く二代目に、その代り盗みをしないという証文を置いていけといって、平蔵の国綱が又も閃き、左腕の肘の下から切断された二代目は草の中に顔を埋めた。
 
 そして、おまさ、介抱してやれ、2度と顔を見せるなという平蔵におまさは短くお礼を述べ、何かを伝えた。役宅へ急ぎ戻った平蔵は、盗人宿へ同心達を急行させ、3日後の犯行のため次々と現われる盗賊どもを7人全員逮捕し、ここに兇悪な一味も全滅となった。

 翌年の4月末おまさが旅姿で役宅へ現われ、平蔵の居間の庭先に廻った。

「顔を見せぬ約束だぞ」
「京の仏具屋・今津屋又太郎は1月前に、はやり病いで亡くなりました。でもこの1年が10年にも思えます」
「うれしかったか、それ程に」
「はい」
「お前も男運がないのう」
「また密偵いぬになりとうございます」
「裏切った彦十を許してくれるか」
「あれから彦十さんに手を合せておりました」
「好きにいたせ。俺も心強い」(第40話「狐火」文春文庫6巻)