第45回『大川の隠居』
今回は池波の自選作の第3話「大川の隠居」(文春文庫6巻)を取り上げ、その概要と感想を述べてみたい。
秋口に入って平蔵は風邪を引いた。構わず働く内に熱も高くなったので、親しい表御番医・井上立泉の診療を受け、10日程寝込んだところ、熱も下がってきた。だが一昨夜、剣友・岸井左馬之助が見舞いに来たので、妻・久栄の眼を盗み、台所の冷酒を茶碗で2杯呑んだのがいけなく、また熱が出てきた。昨夜はそれで夢うつつ、久栄が自分の顔を覗き込んでいると思い、俺も衰えたものだと久栄に語った後、深い眠りに落ちた気がする。
翌朝平蔵は熱が下がり、爽快になった。それで毎夜2回も様子を見てくれた久栄の労をねぎらい、昨夜は寝言をいっただろうと尋ねてみると、久栄が否定するので、あれは夢であったかと納得する。その後朝餉となり、白粥に半熟玉子、梅干が実においしかった。食後に一服吸いたいと頼んでみると、久栄が昨夜戸棚にあった煙管が見当らないというので、びっくりする。その煙管は父が京都町奉行の時、名人といわれた京の煙管師・後藤兵左衛門に15両も払って作らせた銀煙管で、長谷川家の替紋「釘抜」が彫り込まれた形見の品である。しかし久栄が何度探しても見つからないので、平蔵は昨夜自分の顔を覗き込んだ何者かが犯人であると確信し、久栄にはこの盗難を絶対口外しない様頼んだ。
その日から5日後。すっかり回復した平蔵は、丁度訪ねてきた岸井とともに浪人姿で市中見廻りに出た。2人は日本橋南詰から江戸橋に出て、これを北へ渡り、思案橋のたもとの船宿・加賀やへ入った。平蔵は岸井に久し振りに大川(隅田川の古称)へ出てみようといって、舟と酒肴の支度を頼んだ。やがて来た船頭は友五郎という老人だったが、船はその見事な竿の手さばきで、日本橋川を出て、行徳河岸を右へ曲り、三つ俣から新大橋をくぐって大川へ出た。両国橋まで来た時、岸井が本所の親類に用事があり、寸時下船をする。空は見事な夕焼けで、両国橋は家路を急ぐ人々で雑踏している。平蔵は予備の煙管を取り出し煙草をつめた。ふと見ると船頭・友五郎も煙草を吸い始めたが、その煙管に平蔵の視線が止まる。それは間違いなくあの形見の銀煙管であった。
翌日の昼下り。平蔵は深川・石島の船宿・鶴やの亭主をしている密偵・粂八を役宅へ呼び、思案橋の船宿・加賀やの船頭・友五郎を探る様に命じた。粂八はすぐ大店の番頭姿になり、駕籠で加賀やへ行き、中に入ると、後ろから肩をぽんと叩いた者がいる。浜崎の友蔵であった。粂八は若い頃、上総・下総の殺生をしない盗賊・飯富の勘八一味に入ったが、その際薫陶を受けた人がお頭の右腕の友蔵であった。10年前に一味が解散して以来の再会である。
2人が舟に乗り、日本橋川へ出ると、友蔵は川越船頭を昔やったので、今は堅気の船頭となり、友五郎と名乗っているといった。他方粂八は血頭の丹兵衛お頭が鬼平に捕えられ、流れ働きをしているが、恐ろしくて動けないと答える。すると舟は丁度大川へ入ったが、友五郎は鬼平の評判が余りにも高いので、この間鬼平の寝間に忍び入り、愛用の煙管を盗んでやったといい、粂八に銀煙管を見せてくれた。そして68にもなる俺がこれだけのことができるのだ、お前も腰をすえて鬼平がびっくりする様な真のお盗めを見せてやりな、と愉快そうに笑った。
粂八からこの話を聞いた平蔵は、脇息(ひじかけ)を叩いて面白がった。すると粂八がこれは本当の話なので、と尋ねるので、確かに、あの夜夢うつつ、女房殿ではない人が入ってきたのを覚えているという。粂八は幾度も謝り、冷汗を流しながら友五郎のお目こぼしをお願いするので、平蔵は2人で相談することとした。その翌々日の午後、粂八が加賀やへ現われた。少し待たされたが、戻ってきた友五郎がすぐ舟を出してくれた。日本橋川へ入ると、粂八は俺も盗賊改め方へ入ったよ、今度は見張りが厳しかったが、とっつあんと違い、現役だ、敗けるものかと思ってねえといい、懐からふくさを出して開いた。それは印籠であった。友五郎はそれを手に取って家紋を見たが、銀煙管と同じ釘抜である。友五郎は低くうなり、俺も見張りのうるさい改め方へもう一度入ってみるぜという。粂八は、ではその前にもう一度入り、この印籠を戸棚の3つある、真ん中の引出しの箱に戻しておく、とっつあんはその煙管を元の棚へ戻し、代りに印籠を持ってきな、そうしたら、よし、金30両を差し上げましょうという。友五郎はよしきた、いつ印籠を返しに行くと聞くので、粂八は今夜行くと答えた。
その夜。粂八は役宅へ現われ、平蔵に印籠を返し、翌日また加賀やへ行き、友五郎に昨夜役宅へ印籠を戻したが、とっつあんはどうなさると尋ねた。友五郎はいや大したものだ、乗りかかった船だ、今夜行くと答えた。夜が来て、平蔵が寝間へ入ったのは午後10時頃であった。どれ程眠ったろうか。かすかに闇が揺れ動くのを感じ、はっと目覚めたが、寝姿を崩さず、寝息も変えない。音はしない。棚の辺りの闇が微妙な人の気配を感じさせるのみだ。さすがである。友五郎はその内寝間から次の間へ去り、廊下へ出ていった。後はしんと静まり返った。平蔵は行燈を持って戸棚を見ると、引き出しから印籠が消え、その代りに銀煙管が上に戻されていた。
翌朝になって平蔵は与力、同心から小者に至るまで全員を集め、以下の様な訓示をする。昨夜ここに盗賊が入り、私の寝間から印籠を盗んでいった。改め方に盗賊がやすやすと盗みに入ったなどと世の人達や盗賊共が知ったら、何と思う。我らの威厳は地に落ち、天下の笑いものになろう。これからは寸時も油断なくお役目を果さねばならない。この様なことが再びあれば、この長谷川平蔵、直ちに辞任をせねばならぬ。これを聞いた一同声もなくうなだれた。夜になって役宅へ現われた粂八は、平蔵の居間へ行き、とっつあんはもう鬼の首でも取った様に大変喜び、約束の30両、明日持ってこいと、すごい鼻息でございますという。これに対し平蔵は、そうか、後は俺にまかせろ、お前は二度とあのおやじに会ってはならないと指示をした。
その翌日の夕暮れ。平蔵は浪人姿で加賀やへ現われた。折よく友五郎がいて、過日のお客の顔をよく覚えていてくれた。手酌で呑みつつ、山谷に向って大川を上る内に夜に入った。おぼろ月が浮んでいる。舟は大川橋(後の吾妻橋)をくぐり、更に大川を遡ると、左に浅草寺の光る大屋根、右に三囲りの土手から長命寺、寺嶋の黒々とした木立が見える。その時旦那、明日は雨になりやす、大川の隠居が出てきましたから、ごらんなせえ、あそこをと友五郎はいった後、舟端を叩きながら、おう、隠居、久し振りだなと声をかけると、川面が大きくうねった。そのうねりが近寄ったと思うと、その中からこの舟ほどある大鯉が背びれを出して、舟と平行に泳ぎ、尾で舟端を叩いた。隠居、お前も丈夫で結構だなと友五郎も舟端を叩き、声をかけると、うねりの間から鯉の目が月光にきらりと光り、こちらを見る。旦那、隠居はもう7、80年も大川に棲んでおりやす、身長は5尺を超え、目方は10貫もありやすかね、なじみの船頭の声も聞き分けます、やあ、隠居、もう帰るのか、じゃまたなと友五郎が声をかけると、背びれが舟から離れ、見えなくなった。
平蔵も川向うの本所で育ったが、こんな大鯉が大川にいようとは、夢にも思わなかった。お蔭でいいものを見せてもらった、お礼に一杯つき合ってもらえないかという。友五郎が受けたので、舟をなじみの今戸橋に近い船宿・嶋やへ着けさせた。いつもの2階座敷へあがり、窓を開けると、月は雲に隠れている。友五郎、大川の隠居がいう様に明日は雨だなと平蔵がいうと、いつもそうなりやすと友五郎が答える。熱い酒がきて、酌み交わす内に友五郎が、旦那の様なさばけたおさむらいは初めてだという。平蔵もお前の様な年寄りの昔話を聞きたいものだと褒めながら、例の銀煙管を出し、悠然と煙草を詰め始めた。友五郎の手が盃を落とし、老顔が凍りつき、唇だけがわなわな震え出した。平蔵は小判1両を友五郎の前に置き、煙草の煙りを吐き出しながら、とっつあん、この1両で印籠を返してくれないか、煙管も印籠もおやじの形見で、俺にとっちゃ、かけがえのないものなんだといった。
以上が概要である。以下感想を述べると、池波はこの小説で大川の風景を、橋や寺社、舟、建物、人物等も含めて描写している。一方歌川広重(1797―1858)も浮世絵で大川の風景を描写しているが、2人の風景には、下記の通り共通点が多い。だから広重の「江戸名所百景」や「東都名所」を観賞しながら、この小説を読むと、昔の美しい大川を背景とする物語がより生き生きと動き出す。
(本小説) (江戸名所百景)
日本橋 日本橋雪晴
江戸橋 日本橋江戸ばし
小網町 鎧の渡し小網町
三つ俣 みつまたわかれの渕
新大橋 大はし安宅の夕立
両国橋 両国橋大川ばた
大川橋 駒形堂吾妻橋
浅草寺 浅草金龍山
三囲土手 三囲暮雪(東都名所)
山谷堀 真乳山山谷堀夜景
次に大川の東岸に上記の三囲土手があり、そこを越えた所に三囲神社がある。三囲暮雪はその神社の冬景色を画いた広重の傑作である。元禄の頃、芭蕉の高弟・其角は、この神社の前で雨乞いをする者に代って、「夕立や田を見めぐりの神ならば」と一句詠んで奉納したところ、翌日神が雨を降らせたという。池波はこの神社の対岸にある真乳山の聖天様の周りで生まれ、この話をよく知っていたので、雨乞いすなわち雨鯉を神社の前の大川に出現させたのではないかと思われる。また百科事典によれば、鯉は貝類、水虫昆虫、水草、土中の有機物質を食べ、身長は153センチ、体重は45キロ、年齢は210歳になるものがいたとある。だから水がきれいで餌も豊富だった江戸時代、隠居の様な鯉が大川にいても、別に不思議ではないのである。
最後にその後友五郎は「流星」(文春文庫8巻)で、次の様に書かれている。平蔵は友五郎を今まで通りにして、時々舟を出させたり、一緒に酒を呑んだりした。それは友五郎の盗みには一種、いうにいわれぬ風流があったからである。そんな平蔵に傾倒した友五郎は密偵を志願したが、危険だとして許されなかった。ところが友五郎は息子を人質にされたため、昔の仲間・鹿山一味の急ぎばたらきに参加し、逮捕される。しかし平蔵は島送りとなる友五郎に息子の後見を約すとともに、金25両を渡し、無事生還する様励ます。