内定者向け通信教育、現場の5S /新鬼平随想録[第55回]

*2024年10月3日(木)

秋風が吹き渡る季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日は、

  • 内定者・新入社員教育について、併せて「モノづくり現場の基礎~5S・安全・品質」講座のご紹介
  • 石岡慎太郎(JTEX理事長)による池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』をもとにした「新鬼平随想録」
    第55話

について、ご案内いたします。ぜひ最後までご拝読いただければ幸いです。

内定者・新入社員教育の目的と効果的な実施方法

学卒採用活動を行っている多くの企業様では、入社前後に「内定者・新入社員教育」の時間を設け、各種カリキュラムを準備しているケースがほとんどです。
「内定者・新入社員教育」は、新入社員が自社の考え方や、業務内容、ビジネスマナー、働く上での心構えなどを理解し、スムーズに業務を進めていけるように行われています。人材不足や採用難が叫ばれる中、短期間での戦力化が実現できるという意味でも、今後さらに重要視されていくと教育であると考えられます。
上記のように大切な教育である「内定者・新入社員教育」ですが、実施方法を考えるときは、会社の方針に合ったカリキュラムにすることが大切になってきます。

この記事では、人事担当者様向けに、内定者・新入社員教育を実施する目的や、各部署の新人教育担当者様が新入社員教育を失敗しないためのポイントについて解説していきます。



内定者・新入社員教育の目的と効果的な実施方法

 業務を行っていくに当たり、多くの企業が課題としてあげている点に「労働力不足」や「若手社員の早期離職問題」があります。
労働力不足に関しては適切な内容の「内定者・新入社員教育」を実施することにより「新入社員の即戦力化」を促すことができ、早期離職問題に関しては「教育を行うことでの安心感」を新入社員に与えられる内容での教育を実施することが主流になりつつあります。
それぞれ具体的に説明をしていきたいと思います。
新入社員の即戦力化
新入社員教育においても、他の階層教育と同様、業務を進めていく際に必要な知識とスキルを伝えていくことは大きな目的となります。
社会人としてのスタートを切ったばかりである新入社員は急速なスキルアップが見込めると共に、新入社員教育終了後も自律的に学習し成長していく下地ができます。
その他にも、早い段階で業務における基礎的な知識を習得することで、配属後に自信を持って仕事を進めることができるようになることも大きなメリットと言えるでしょう。

ただし、教育の内容が高度になれば、自社内で全てを完結することが難しくなります。
教育内容を検討する人手が不足していると、そもそも研修の実施自体が難しいということも往々にして考えられます。
そこで、外部の教育機関に依頼し、自社の考えに合ったコンテンツを使用して内定・新入社員教育の一部分を補ってみるのもひとつの方法です。

早期離職の防止
内定者の中には、卒業後に自分が就職する企業に対して、「本当にこの企業を選んでよかったのか」といった悩みを抱き、入社直前に内定辞退、もしくは入社直後に早期退職を決断してしまうケースも少なくありません。
また、企業としても時間とコストをかけて獲得した人材が、簡単に内定辞退・退職をされてしまうことは防ぎたいはずです。

そのため、内定者・新入社員教育を通じて、企業担当者様と定期的にコミュニケーションが取れる状態を作っておくことで「自分を見ていてくれている」という安心感を与えることは必須と考えられます。
また、配属後に上司や先輩から「かわいがってもらえる、目をかけてもらえる」ように、基本的なコミュニケーションに関する内容の教育を受けさせることも重要です。

悩みなく、スムースに職場に溶け込むことで、業務を覚えるスピードも自然と早くなり、仕事に対する自信ややりがいを感じ、次第に自らの成長を実感できるようになることでしょう。
そして、成長したことでモチベーション高く働くことができ、早期離職の防止につながります。
早期離職を防止することは採用コスト削減に繋がり、会社にとっても大きなメリットになります。

「モノづくり現場の基礎~5S・安全・品質」



「5S」「安全」「品質」について、工場内の各職場を見ながら勉強できるeラーニングです。
    【講座の特徴】
    • 全編、上司と部下の会話形式で解説します。
    • 入社半年の小森君が製造課長の才田さんと工場内を回りながら、勉強していくストーリーです。
    • 工場内でのあらゆる場面での業務ルールや進め方を5Sの考え方と関連付けて解説します。
    【著者プロフィール】
    • 別所 義夫 先生
      • 電機メーカーの生産技術開発部門、営業部門、工場生産技術部門などで勤められ、その後関連会社では現場改善指導や研修講師など、従業員教育に尽力されてきました。
    【著者からのメッセージ】
      この講座でお伝えしたかったことを一言で言うと『気づき』です。
      「何か変だな」「おかしいな、いつもと違うな」という気づきが、『安全、品質、生産性』などの不具合を見つけるきっかけになります。
      この「変化に気づく」には、「現状を見る目」を持ち、「あるべき姿、理想の姿」を考え、そのギャップについて「なぜだろう?」と考えることが大切です。

      5Sは、現状を知り、あるべき姿を考える手段ともいえます。
      この講座は、5SやQC7つ道具の個別内容を説明するテキストではありません。
      5Sの目を通して、工場のさまざまな部門・場面で起る課題に対し「何か違う、変だな」と気づき、「あるべき姿は何か?」を読者と一緒に考えることを目指しています。
      初めてモノづくり現場に入る人から現場を経験した人など、誰にでも分かるような平易な事例と言葉で、具体的に紹介しています。
      モノづくりに従事するさまざまな方に、『気付き』の重要性が伝わり、「何か変だな、なぜだろう?」と自ら考える事の大切さが伝われば幸いです。

カリキュラム
  • 第 1 章 5Sについて
  • 第 2 章「モノづくり」について
  • 第 3 章 職場の5S
  • 第 4 章 工程の5S
  • 第 5 章 安全と品質を守る現場のルール
  • 第 6 章 職場の情報セキュリティ
  • 第 7 章 設備・治工具の5Sと安全
  • 第 8 章 工場の5Sと安全
  • 第 9 章 品質管理





鬼平犯科帳連載について

JTEXメールマガジンでは、石岡慎太郎(JTEX理事長)による池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』をもとにした「新鬼平随想録」を1話ずつお届けします。息抜きにご一読いただければ幸いです。

作者の池波正太郎氏は19歳のとき(昭和17年)、小平の国民勤労訓練所(戦後の中央職業訓練所)に入り、萱場製作所で2年間、四尺旋盤を使って飛行機の精密部品を作り、そのとき体で覚えたものつくりの手順で、『鬼平犯科帳』を書いたといいます。
このように、この小説の背景は意外に深く、皆様もこの作品から学ばれる点が多いと思います。



第55回 池波正太郎の銀座日記(3)

    4番目の[原文]と[備考]は、越中・・井波・・大和やまと秀夫氏が池波に里芋を送られたことに関するものである。

    [原文]×月×日
    (前略)夜は越中・井波の大和君が送ってくれた掘り立ての里芋をつかった「けんちん汁」とハマチの刺身。そのあと御飯をやめて、もり蕎麦にする。(後略)(「銀座日記」302頁、「銀座百点」昭和62年1月号)

    [備考]最初にこの×月×日は、内容から見て昭和61年11月中旬であろう。この日、越中・井波の役場の職員である大和秀夫氏から、例年の様に夫婦して作った掘り立ての里芋が送られてきた。その夜、池波はけんちん汁を作ってもらい、1年振りに大好きな郷土の里芋の味を満喫する。
    次に大和氏が初めて池波に里芋を贈られたのは、58年の秋であったという。それまでの間、池波は3度井波を訪ねたが、その都度氏がそのお世話を一生懸命行ってきた。お礼をしたいと思う池波は、一度上京する様に何度も頼むが、当り前のことをしているのに、先生にご迷惑をかけてはならないと考える氏は固辞を続ける。しかし58年の秋、池波の熱意に抗し切れなくなった氏は、上司に相談をし、上京する。その際掘り立ての里芋を新聞紙に包み、お土産にされたが、後日先生が大変喜ばれたことを知り、毎年秋には黙って里芋を送り続けられたという。
    最後にこの夜けんちん汁を満喫した池波は、次の日、書きかけであった新連載の現代小説「原っぱ」(新潮社月刊誌「波」昭和62年1月号-63年2月号)の最初の号の原稿を一気 せいに書き終えた。これは、池波の分身である老劇作家・牧野が、変貌へんぼうする東京で、一生懸命何かをし、人には迷惑をかけず、常に気遣きづかいをしている人達を発見し、幸せを感じる物語である。平成2年に続編が発表され、牧野がパリの居酒屋へ行き、前述の日本人と同じ様な老亭主を発見する。その原文等は越中・井波の話が終了後御紹介したい。
    10ある内の5番目の[原文]と[備考]は、池波の延び延びとなっていた井波訪問に関するものである。

    [原文]×月×日
    昨日は、小雨の中をタクシーで井波へ行き、旧知の人びとと交歓した。昼食はなじみの深い料亭「丸与まるよ」にする。利賀とがから届いた山芋入りの蕎麦、せいろむしどぜう・・・のカバ焼もなつかしい。午後3時にタクシーで金沢へ入り、泊る。(後略)(「銀座日記」343頁、「銀座百点」昭和62年7月号)

    [備考]最初にこの日×月×日は、内容から見て昭和62年5月中旬であろう。銀座日記によれば、この日の前々日、池波はA社の人とともに富山県の上市町かみいちまちの料亭・八山はちざんに泊る。この時の料理がウド、たけのこ、ワラビ、つるぎ だけつばめの巣、ホタルイカと列記されているが、これはおいしかったからに違いない。
    次に翌朝、池波は上市町よりタクシーで井波に行くが、多くの人達に歓迎され、とても嬉しかった。そしてなじみ深い料亭・丸与で昼食となったが、先祖の地の料理はどれを食べてもなつかしかった。池波はそれを「味妙」と表現し、いつであったか、色紙に書いて丸与に贈ったといわれる。
    最後に、池波はこの訪問後、週刊文春62年6月25日号の「ル・パスタン」に、井波を最後の地にしてもいいと思っていたが、体力がなく、運転もできず、そうならない様な予感がする、一方変貌する東京も最後の地にならない様な直感が日々強くなると書いた。されど、いつであったか、大和氏から、実は先生は最後まで、できれば井波に住みたいと願っておられたとお聞きし、今もなお嬉しく思っている。
    6番目の[原文]と[備考]は、越中・井波の大和氏が里芋を送られたことに関するものである。

    [原文]×月×日
    (前略)越中・井波の大和君から里芋が送られて来る。井波の里芋はうまい。今夜は、けんちん汁にすることにした。(「銀座日記」385頁、「銀座百点」昭和63年1月号)

    [備考]最初にこの×月×日は、内容から見て昭和62年11月中旬であろう。この日池波の日記には、初めて井波の里芋は旨いと記された。
    次に井波(中心・山野地区)の里芋の歴史は、隣の福野(中心・南野尻地区)とともに、享保年間から始まるが、本格的栽培は昭和の初めからである。特に昭和3年、山野村農会が奨励金を出して品種を向上させ、優良品種のみを生産、販売する。これが井波の里芋の評価を高めたとされる。また昭和47年、井波町、福野町、砺波市及び庄川町が秋冬さといもの国の野菜指定産地となる。これが井波等の里芋の生産、出荷を安定させたといわれる。
    現在、秋冬さといもの産地は、南砺市、砺波市、滑川なめりかわ市、上市町及び立山町となったが、その味には粘りの強さ、柔らかさまたは甘味があるという特色がある。このため産地の収穫量は近年増加傾向で、平成26年は961トンであった。なお池波が同じ秋冬さといもの産地・上市町から井波へ入ったのは偶然であろうか。(続く)




講座に関するご質問、その他通信教育に関するお問合せは、下記担当者までお願いいたします

2024年総合通信教育ガイドについて

ご請求は下記より受け付けております
「個性が集まって、仕事も世界も動いている。」

電子ブックで閲覧いただけます。


【発行・編集・著作】
JTEX 職業訓練法人 日本技能教育開発センター
〒162-8488 東京都新宿区岩戸町18 日交神楽坂ビル
TEL:03-3235-8686(午前9時~午後5時)

2024年10月3日