第14回『春の淡雪』
私の勤めている日本技能教育開発センターは神楽坂の岩戸町にあるが、神楽坂を舞台にした事件は3件ある。
1つ目は『追跡』(文春文庫10巻)の事件で、坂田の金助一味が牛込・肴町の雪駄問屋・加田屋佐兵衛をねらうが、未遂に終わる。次は『鬼火』(17巻)の事件で、盗賊・滝口金五郎一味が牛込・通寺町の薬種舗・中屋幸助に押し込み、23名を殺害する。
そして最後が『春の淡雪』(21巻)の事件である。芝の扇屋で番頭をする密偵から、「盗賊・雪崩の清松と日野の銀太郎が千束池の茶店裏の盗人宿にいた」と言われた鬼平は、部下の大島の密偵・雪崩が博打打ちと聞いていたから、非常に驚く。すぐに大島の尾行と盗人宿の見張りを命じたことで、大島が盗人宿に出入りしていることや盗人宿から出た日野が神楽坂の毘沙門横町の薬種問屋・池田屋へ入ったこと、その池田屋五平も盗賊であることがわかった。
隣の川口志摩守の屋敷を借り、池田屋の見張りと尾行を行うと、さらに渋谷で池田屋の娘が誘拐されたことや、雪崩、大島、池田屋、その子分の日野が市ヶ谷の料亭に集まったこともわかってくる。そして料亭では、雪崩が「明後日暁方、目黒の一本杉で千両を渡せば娘を返し、計画中の薬種問屋への押込みも大島が見逃す」と脅して、池田屋に承諾させる。しかし、店に戻った池田屋はわざと「すぐに江戸を引き払う」と言い、これに反対した日野を内通者と見て処分する。
何か事態の急変を感じた鬼平は、一気に池田屋へ踏み込み一味を逮捕して、事件の全貌を理解する。そして池田屋とともに、その下男に化けて目黒の一本杉へ行き、千両と娘を交換した後、雪崩に手裏剣を投げて捕縛した。しかし大島は、止める暇もなく、鬼平に詫びながら自刃してしまう。大島は、博打で大きな借財を作っていたのである。
池波は手元に『江戸切絵図』と『江戸買物独案内』を置き、執筆をしたという。だから私も『江戸切絵図にひろがる鬼平犯科帳』(人文社)を手元に置いて読んでいるが、私の1年先輩が社長をするこの会社の本は、なかなかいい本である。
その本を見ると、神楽坂一帯は旗本、御家人の武家屋敷の町である。そして、坂の中程に毘沙門天をまつる善国寺があるが、この寺は寛政5年、鬼平が亡くなる2年前に麹町より移り、多くの参詣客を集めた。
その善国寺の左脇に道があり、突き当たって左に折れている。この角地(善国寺の裏)に池田屋があったマークがあり、道の突き当たり(池田屋の左手)には鬼平が見張り所を置いた旗本・川口志摩守の屋敷がある。
この池田屋のマークは小説の記述どおりで正しいが、そこは毘沙門横町ではなく、岩戸町2丁目となっている。この岩戸町は鬼平の死後の寛政10年に、火事にあった深川・六間堀の代地として町人の住む町とされたところで、それ以前は武家屋敷の地であったと書いてある。
この矛盾についてはさらに詳しく調べる必要があるが、こうしていろいろ調べるのも、鬼平犯科帳の楽しみのひとつである。