第31回『本所・桜屋敷』
中村吉右衛門主演の第2話「本所・桜屋敷」(フジテレビ)が、平成元年7月19日に放送された。監督は小野田嘉幹、おふさは萬田久子、岸井左馬之助は江守徹、彦十は江戸屋猫八であったが、脚本を書いた井手雅人は2日前に急逝していた。井手と同じ作家・長谷川伸の弟子であった池波は涙で映像がよく見えなかったという。その池波の原作(文春文庫1巻)の概要と映画の感想は以下の通りである。
天明8年(1788)の正月のある朝、平蔵は昨年末逮捕し、処刑した凶盗・
平蔵はすぐ一人で本所へ向かった。本所は父の屋敷が三ツ目にあり、17歳から父が町奉行となった京へ赴くまでの10年間、過ごした町である。
最初平蔵は梅吉が姿を見せ、消えたという
この時背後からわざと斬りかかった者がいる。うまくかわした平蔵は高杉道場で猛稽古をした剣友・岸井左馬之助と20余年振りに再会した。そして2人は法恩寺門前の茶店へ入り、湯豆腐と熱い酒で、積もる話を語り合った。
実は桜屋敷のおふささんは2人の初恋の女性であった。だが2人が22歳の春、彼女は花嫁姿で舟に乗り、
平蔵は翌年父の跡を継ぐことになり、将軍・家治に拝謁(はいえつ)し、市井の無頼者(ぶらいもの)との付き合いも止めた。一方岸井は今も
岸井と別れた後、平蔵は南割下水の御家人・服部角之助の家を探してみた。家は見つからなかったが、今度は本所の無頼者で親しくしていた
二ツ目の
さらに役宅へ戻った平蔵は、日本橋に住む改め方の御用聞・文治郎を呼び、近江屋のおふささんのことを聞くと、彼女は幸せに暮らしていたが、子供を死産してから数日後に夫が馬に蹴られ、1ヶ月後に亡くなってしまった、後取りはもめたが、結局夫の弟に決まり、その弟が桜屋敷を御公儀へ売り払い、いくらかのお金を渡し、彼女を追い出したということであった。
ところで彦十は別れてから4日後の夕、役宅へ来て、服部の家に梅吉がいると報告してくれた。さらに翌々夜、駆け込んで来て、無頼仲間の
平蔵はすぐに改め方20余名に出動命令を出し、午後11時には服部の家を取り巻いた。そして彦十の連れてきた蓑虫の久を使って門を開けさせると、先頭に立って中に入り、服部夫妻を含め梅吉達を一網打尽にした。
取り調べはおふさ以外の者を平蔵が担当し、梅吉は、蓑虫の久を誘い込んだのが運のつきであった、旦那のお目を逃れて服部の賭場へ転がり込んだが、御新造と仲良くなった、近江屋への押し込みは御新造が勧めたものであったと白状をした。
最後のおふさは村松与力が取り調べた。その日平蔵は岸井を役宅に招き、詮議場の横の部屋の障子のすき間から一緒に白洲の彼女を見た。
村松与力がびしびしと調べを進めると、おふさは、近江屋にはうらみがある、それ故梅吉をそそのかせ、近江屋夫婦を殺害させるつもりであった、お金を盗むことよりもそのことの方が、私には大事であったとはきはきと答えた。どういううらみがあったのかと聞かれると、おふさは、日本橋の御用聞が平蔵にいった通りの内容をはっきりと述べた。
おふさが白洲から引き立てられる時、2人はたまりかねて詮議場へ出ると、おふさは2人を見たが、表情は少しも変わらない。まったく、おふさは2人を忘れ切ってしまっていたのだ。
そのことを平蔵が思わずささやくと、岸井の両眼から泪が湧きこぼれた。左馬はこれ程までにおふささんを思いつめていたのか。平蔵は深い感動を覚える。
春になり、梅吉、服部、浪人くずれは死罪、おふさは服部家の小者その他と遠島となった。
数日後平蔵は神田川の船宿で小舟をやとい、本所の
ところで映画では、平蔵がおふさを取り調べることになっている。その時おふさは、梅吉をそそのかしたことについて、「私は女でございます。男の力が欲しい時どんな手だてがございます。教えて下さいまし」と答える。平蔵はたしなめるが、純真な彼女が思いがけずも歩まざるを得なかったひどい人生が浮かび上ってくる。
また映画では、岸井左馬之助とおふささんが寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うシーンがある。これは京都の妙心寺でロケされた、実に美しいシーンである。そしてこのシーンが左馬之助の胸の内にあるから、いつまでもおふささんを想い続けられるのだろうと思わせる。
最後にこの映画で相模の彦十が初めて登場する。江戸屋猫八の演ずる彦十はうらぶれた中にも凄味が感じられる。そんなシーンが沢山見られた。池波もそんな演技を見て、小説の通りの彦十だと絶賛したと伝えられる。(参考「鬼平犯科帳を極める」扶桑社)