【号外】2024年度(第2回) 機械保全技能検定の受検願書受付が8月26日(月)から開始しました。 /新鬼平随想録[第48回]

*2024年8月26日(月)

処暑の候、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

本日は、号外といたしまして

  • 機械保全技能検定【受検願書受付開始】
  • 石岡慎太郎(JTEX理事長)による池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』をもとにした「新鬼平随想録」
    第48話

について、ご案内いたします。ぜひ最後までご拝読いただければ幸いです。



2024年度(第2回)機械保全技能検定の
受検願書受付が、8月26日(月)より開始いたしました!!

機械保全技能検定試験の受検申請受付が開始いたしました。
申請方法はインターネット申請と郵送申請と2パターンございます。
それぞれで締切日が異なります。
    受検申請期間
      インターネット申請
      • 2024年8月26日(月)10:00~9月27日(金)18:00
      郵送申請
      • 2024年8月26日(月)~9月20日(金) 消印有効
    技能検定受検の手続き
      1.受検案内書の入手
      • 日本プラントメンテナンス協会のホームページより申請書をダウンロードしてください。

      2.受検申請
      • 8月26日(月)~9月27日(金) or 9月20日(金)まで
      • 日本プラントメンテナンス協会窓口で受付。
      • その後、受検資格審査あり。
      • 2017年度以降の弊センター(JTEX)学科免除講座修了の方は受講者番号をご記入ください。
      3.実技試験問題の公開
      • 日本プラントメンテナンス協会より
      • 《電気系保全作業のみ》実技試験問題の公開
        ※機械系保全作業は「出題例」として常時公開

      上記1~3に関して、誤りがあった場合でも当センターでは責任を負いかねます。

    実技試験実施日
      2024年度の試験は次の日程となっています。

      等級 作業 試験区分 試験日(期間)
      特級 学科試験・実技試験 2025年1月12日(日)
       学科試験(午前)・実技試験(午後)
      1級 機械系保全作業 学科試験・実技試験
      電気系保全作業 学科試験
      設備診断作業 学科試験・実技試験
      2級 機械系保全作業 学科試験・実技試験 2024年12月15日(日)
       学科試験(午前)・実技試験(午後)
      電気系保全作業 学科試験
      設備診断作業 学科試験・実技試験
      3級 機械系保全作業 学科試験・実技試験 2025年1月12日(日)
       学科試験(午前)・実技試験(午後)
      電気系保全作業 学科試験
      1級
      2級
      3級
      電気系保全作業 実技試験 2024年11月30日(土)
      ~2025年2月23日(日)

       期間内の土曜日・日曜日に実施
       ※上記以外に予備日設定あり。
    合格発表(公式サイト・マイページ)
    • 2級(電気系保全作業実技試験除く)      2025年1月31日(金)10:00~
    • 特級・1級・3級(電気系保全作業実技試験除く) 2025年2月25日(火)10:00~
    • 1級・2級・3級(電気系保全作業実技試験除く) 2025年3月21日(金)10:00~
    結果通知の発送
      2025年3月21日(金)
    合格証書の発送
    • 2025年4月21日(月)
    • 学科試験・実技試験を受検して合格した(技能士合格の)方には、合格証書が交付されます。

認定職業訓練(技能検定学科試験免除コース)機械保全科 修了証書のご案内

2023年度の機械保全科スクーリング及び修了時試験が先日行われ、合格された受講生の皆様、おめでとうございます。

また、残念ながら不合格だった方も、来年チャンスはありますので、諦めずに技能士合格に向けて頑張りましょう!

合格された受講生の皆様には、9月20日(金)に各企業ご担当者様宛に、東京都知事証明の修了証書を発行、送付いたします。

これにより受講職種の学科試験が「免除」となります。(*証明書は全国で適用されます。)





鬼平犯科帳連載について

JTEXメールマガジンでは、石岡慎太郎(JTEX理事長)による池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』をもとにした「新鬼平随想録」を1話ずつお届けします。息抜きにご一読いただければ幸いです。

作者の池波正太郎氏は19歳のとき(昭和17年)、小平の国民勤労訓練所(戦後の中央職業訓練所)に入り、萱場製作所で2年間、四尺旋盤を使って飛行機の精密部品を作り、そのとき体で覚えたものつくりの手順で、『鬼平犯科帳』を書いたといいます。
このように、この小説の背景は意外に深く、皆様もこの作品から学ばれる点が多いと思います。



第48回 越中・井波―わが先祖の地(壱)

    鬼平犯科帳の135話の内から池波が自選した5話を紹介したが、池波は自ら書いた膨大な随筆についても、113話を選び、昭和63年に「池波正太郎自選随筆集」上巻・下巻を朝日新聞社から刊行した(朝日文庫の「私の生まれた日」は上巻、「私の仕事」は下巻である)。これらの随筆はいずれも素晴しいが、私が特に注目するのは、上巻にある、
    ○「越中・井波いなみ―わが先祖の地」(初出、小説現代昭和57年3月号)
    ○「セトル・ジャンの酒場」(初出、1年の風景、昭和57年9月朝日新聞社)
    という2つの随筆である。
    最初の随筆は、昭和56年10月、天保の頃まで先祖が住んでいた富山県井波町(現南砺市)を池波が初めて訪ねた時の話である。池波は宮大工だった先祖も改築に従事した、600年の歴史を持つ瑞泉寺の大伽藍を見たり、町の人々の厚い人情に触れたりしている内に、井波が本当の故郷と思えてくるのであった。次の随筆は、昭和52年に初めて渡仏した池波が、フランス語で「忘れられたきフランス」という名の200年続くパリの居酒屋を訪ね、昔気質むかしかたぎの老亭主セトル・ジャン夫婦と親交を結ぶ話である。しかし55年の3回目の渡仏の時は、妻の介護のため老亭主は店を手放していた。56年の渡仏の際に、ようやく再会できたが、以後店はハンバーガー屋に変わり、また夫婦の行方も分らなくなってしまう。
    以上の様な忘れられた佳き日本やフランスを探す旅は、鬼平犯科帳を書く心と共通するものがある。今回は「越中・井波」の要所の原文と備考を示し、それらを感じて頂きたいと思う。

    〔原文〕私の父方の先祖は越中(富山県)井波の宮大工だったそうな。こんなことを何かの原稿に書いたのを井波の人達が読んでくれ、中でも歴史民俗資料館の館長をしておられる岩倉さんが、しきりにさそってくれたので、秋も深まった或日、私は京都から越中に向った。(中略)高岡へ着くと、岩倉さんが出迎えてくれた。北陸へは数えきれぬほどに出かけた私だが、井波は城端じょうはなへ行ったとき、その外観を一望したにすぎない。

    〔備考〕池波が富山県井波町を訪れたのは、昭和56年10月25日、26日のことであった。また館長は岩倉節郎といい、昭和18年に県立福野農学校を卒業し、横須賀の海軍航空技術しょう飛行部設計課に勤務した人であった。一方池波も昭和19年、航空機の部品を作る徴用工から横須賀海兵団に入隊し、武山海兵団を経て磯子の801航空隊に勤務していた。同じ時期、同じ地域、同じ海軍にいた人に熱心に誘われ、池波も井波に行こうと思ったに違いない。

    〔原文〕私の先祖が井波をはなれ、江戸へ移ったのは天保のことだときいている。父の姉のつれあいヽヽヽヽの伯父が生前にわざわざ井波に寄ってくれて、町役場で調べてくれ、「井波で最後に残った池波という姓の人は、明治のころ信州へ移り住んだらしいが、行先は不明だそうだよ。でも井波に池波という姓は極く少いらしいから、それヽヽが、お前さんのところの御先祖の末裔じゃないかね」と知らせてくれた。(中略)池波家は江戸へ移ってからも大工の棟梁で、祖父の代までつづいた。

    〔備考〕「井波町史」によれば、天保年間(1630―1643)においては、2年、4年、7年、9年が2年毎の大凶作となり、また10年、11年、12年、13年が連続して不作であった。特に4年と7年は、米価騰貴、米穀欠乏等が甚だしく、多くの死者が出たとされる。このため井波地区の離村者(走り人)も10年の76人を最高に天保年間で計249人にも昇った。池波家の先祖の江戸移住はどんな事情で行われたか分らないが、凶作と不作が打ち続く最中さなかに行われたので、大変であったと思われる。

    〔原文〕小雨にけむる、人口1万の井波町。その本通りの両側に木彫師の店がたちならぶ。その一角を指して、岩倉さんがいった。「そこが、御先祖と縁つづきの池尻屋いけのしりやそうしちさんが住んでおられたところと思われます」池尻屋宗七こと池波宗七は、天保8年に生まれ、明治30年に死去している。その娘か、孫の代に至って井波の池波家は井波をはなれたとのことだ。井波では、木彫師にも大工にも屋号がついていたのだそうな。

    〔備考〕明治5年の井波町家並調べを見ると、乙女山おとめやまの麓の瑞泉寺に向って左側の旧中新町なかあらまち通りの、池田屋豊蔵と高瀬屋庄八の家の間に、池尻屋宗七の家が確かにある。また屋号については、明治3年の井波大工調書を見ても、岩屋、中野屋、長崎屋、五カ屋、福野屋等の屋号が並ぶが、出身地を示すものが圧倒的に多い。池尻屋の池尻も井波町の隣りの井口村の地名である。ただし池尻は室町時代の始め、名門・井口三郎光義の後裔・井口蔵人が築いた井口城があったところでもある。

    〔原文〕ほとんど自動車も通らぬ、しずかな本通りに、コーヒーをのませる店は1軒しかない。(中略)その近くに、浅草生まれの老婦人が住んでいる。「井波は、いかがです」私が尋ねると、「ほんとうに、よいところでございますよ。こんな人情の深いところはございません。朝なんか、道を通る小学生が、私などにも朝のあいさつをしてくれますの」老婦人の言葉が、私にはうれしかった。何だか、自分の故郷をほめられたような気分になってくるのが、ふしぎなほどだった。「ただ、風が……雪が吹きつけくる。その風の強さ、恐しさはたまりません。厚い戸が弓なりになってしまって、いまも破れるかとおもうほどです」このあたりの風の凄まじさを、いつであったか、何かの本で読んだことがあった。

    〔備考〕老婦人は浅草の200年続く老舗・駒形どぜうの子女として生まれたが、縁あって井波町の旧家・久保家へ嫁がれた。御夫君は東大を出て故郷に帰り、教育界に入り、県の教育委員長まで務められた人であったが、夫人もまた郷里のため色々な活動をされた人であった。そんな夫人が、井波を、こんな人情の深いところはないと思われていることを知った時には、感動をしたが、今もこの随筆を読むたびに感動を新たにしている。(続く)




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2024年8月26日