第3回『明神の次郎吉』
これまで鬼平と盗賊の善悪の考え方について触れてきたが、その関係で読者にぜひとも読んでほしい物語がある。それは、『明神の次郎吉』(文春文庫8巻)である。
明神の次郎吉は、本格の盗賊なのだが、稼業のひけ目から日ごろ善行を積んでいる。本格の親分・櫛山の武兵衛に呼び出され、江戸へ向かう信州の野原で行き倒れの僧に出会った明神は、お寺に埋葬するとともに、遺言どおり鬼平の友人・岸井に遺品を届ける。感激した岸井は軍鶏鍋屋「五鉄」で御馳走するが、このとき密偵のおまさに顔を見られた。おまさ達は翌日尾行し、千駄ヶ谷八幡近くに盗人宿を発見し、鬼平に報告する。鬼平は岸井から明神の善行を聞いたし、密偵達も助命を願っていると察し、ひそかに町奉行に手紙を送り、この事件の担当し、四谷御門の番所に捕手を待機させるようお願いをした。
2日後、見張る密偵達は犯行を今夜と見破り、鬼平と奉行所へ伝える。その夜、鬼平は密偵達に導かれ、また奉行所の捕手も密偵達に案内され、櫛山一味が押し込む四谷の薬種問屋を取り囲む。すると、さすが本格、いさぎよく縛についた。翌日、鬼平は奉行へお礼に伺い、なんと一味の助命と明神の減刑を陳情する。
10日後、何も知らない岸井は、明神がその後訪ねてこないと鬼平にこぼしながら、友人の墓を建てるべく、信州へ旅立っていく。
この話の最後に、鬼平は「人間というものは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。心をゆるし合う友をだまして、その心を傷つけまいとする」と妻 久栄に述べるが、しみじみとした余韻が残る。
なお、私は鬼平がなぜこのような考え方をするのか興味を持ち、作者の全集を徹底的に読んでみたところ、昭和30年1月15日、師長谷川伸の勉強会に出席した作者は、善悪について質問し、師は、「人間というものは、ふだん悪いやつでもセッパ迫ると善いことをする。また、ふだん善いやつでもセッパ迫ると悪いことをする」と答えた、というメモを発見した。これが鬼平の原点だと思う。
そしてこの原点は、さらに天台宗の「十界互具」という教えからきているように思う。それは心のおりなす世界を、地獄、人間、仏等の十界に分け、その一つ一つにさらに十界があるという教えで、人間の世界の中には地獄から仏まで十の世界があるという教えである。